

八戸から宮古(盛駅)までは鉄道が復帰したが(NHKTVあまちゃんで有名に)、そこから石巻まではBRTバス路線に振替になり、多くの線路がこのようにBRT舗装されてしまった。鉄ちゃんとしては鉄道を復帰してほしかったなあ。

気仙沼の大島には1昨年橋が出来て前のようにフェリーで渡ることもなくなり、便利にはなったがちょっと寂しい気持ちもする。日本全国、小島へ渡るフェリーや渡し船が廃れているね。


今日の宿は、またまた道の駅で「上品の郷」・・(じょうぼんのさと)と読む。・・いう。日帰り温泉やコンビニもすぐ隣にあり便利だ。駐車場はあまり大きくないが車中泊の車がかなりある。相変わらずエンジン掛けっぱなしの煩いトラックがいるが、あれは冷凍・冷房車なのかな?荷物を腐らせないためずっとエンジンをかけて冷凍冷房庫を冷やしているのか?
でもまあ今日も涼しくて車内は暑苦しさを感じなくて何とか眠れそうである。

8日目は気仙沼を後に松島を廻って仙台へ。途中石巻市の大川小学校の後を見に行く。震災で多くの生徒や教職員が犠牲になったところだ。この辺の北上川は川幅も広く水量も多い。学校は堤防より一段低いところにあり、津波が堤防を越えたらひとたまりもない所だった。後ろに控えた山に逃げられたら助かったのにと今更思うが、その時の教職員の経験と地震津波に対する知識がほかの助かったところとは違ってしまったのはいまさら言っても仕方がないが・・・残念である。あの地震は多くの人の想定外だったんだね。

松島は結構な人出がいた。景色は確かに素晴らしいが瑞巌寺周辺にだけ集中していた。土産物店や食べ物店もその辺に集中し、遊覧船乗り場もある。
ちょっと外れたところで甘い団子で一服!




仙台は本来なら七夕まつりの時期だが今年は中止で残念!七夕の飾りが盛大にまつられるアーケードの商店街をぶらぶらと散策するが、代わりと言ってはなんだが小さな竹飾りが各商店前に飾られてあった。東北の大都市の週末にしては人通りはそれほどでもないが、やっぱりコロナの影響か。
9日目は午前中仙台城址(青葉城ともいう)を見学。杜の都とあって確かに大樹が多く規模も大きい。我が駿府城と違って戦国時代の城だけあって小高いところに大きな本丸跡がある。ところが城につきものの天守台がないので係りの男性に聞くと、徳川家康に遠慮して天守を作らなかったとか。
本丸跡から仙台市街を望む。


福島目指して国道6号線を南下、途中ちょっと外れて脇道に入ったりすると津波で亡くなられた集落の集団墓地かまだ新しい墓石が並んでる場所や、見事なひまわり畑に遭遇。墓石の暗い色とヒマワリの明るい黄色の対照が心には複雑で、なんともいえない。
今夜の宿は「道の駅そうま」静かで休憩所は夜も開いておりWIFIも使えるし有難い。


10日目は福島原発のある浪江町を6号線は通って茨城県へ。福島原発近辺は人や自転車の進入は駄目で乗用車のみOK通れる。まだ放射線の影響が残っているから遅い自転車や人は長い時間滞在するとよくないということか。6号線からわきへ入る道は立ち入り禁止の柵が置いてあり、「この先帰還困難地域のため・・」という看板があちらこちらに建てられていた。でも工事関係車両が出入りする脇道には警備員が立って出入りを見張っているがあの人たちは大丈夫か?放射線防御の服かなんかでも下に着ているとしたら暑さで大変なことだ。


仙台から南の海岸は三陸のリアス式海岸の入り組んだ断崖や岩の海岸線と違って砂浜が多くなる。
サーファーの楽しむ浜の近くにある塩屋岬。それまで何ともない所だったが美空ひばりの歌で一気に観光地となてしまった。
この後の茨城・千葉と同じく多くのサーファーが波乗りを楽しんでいた。


実在は確かでないが一応文学などでも有名である勿来の関へ寄り、そのあと20歳ころ訪れたことのある袋田の滝(日本三名瀑の一つ)へ42年振りの観光。国道6号線からは内陸部へ入って一時間ほどだが、途中の道は細くてカーブの連続で緊張する。42年も経っているので記憶は定かではないが、前回と比べ土産物屋や食い物屋が圧倒的に増え駐車場も結構混んでいて(500円)そこそこの人混みだった・・・当然か。その上自然の滝を見るのに入場料を取っている。もっとも、滝の展望台とか歩きやすい地下通路(前は山道を登った記憶が)やエレベーターが設置されていたけどね。観光客呼び込みの投資だろうけど、自然のものを楽しみに行くのに金をとるのはイマイチ釈然としない。袋田の滝は別名四段の滝と言われているが、すべてをいっぺんに見られるところはない。




この近辺の茨城には適当な車中泊場所がないので、どんどん南へ走るがもう暗くなってきた。途中のファミリーレストラン「ガスト」で食べたこの旅初めてのヒレカツが思いのほか旨くてファミレス侮れないぞと思ったよ。適当にネットで探した近くの「道の駅たまつくり」(茨城県行方市)に落ち着くが、落ち着いたのはしばらくの間だけ、10時ころから原チャリ族やオートバイ族が集まり始め煩い煩い!(最悪)そんな時間だけれども早速逃げ出して近くのもう一つの道の駅「いたこ」へ・・・・潮来の伊太郎・潮来花嫁さん、の水郷の潮来である。恐山のイタコとはちょっと違うっぞ!静かで車中泊の車も多くて安全そうで、最初からここへ来ればよかったなあ。最後の車中泊場だ。
11日目は潮来の隣町の鹿島の鹿島神宮へ。杉の巨木の多い荘厳な雰囲気のある古社である。朝早いため駐車場係りが出勤しておらず、門前のすぐ近くにタダで止めて観光できてしまった・・ラッキー。これからはなるべく早朝時間帯を狙って観光しよう!!


車を走らせていると巨大なスタジアムが見えてきた、何だろうと思ったらJリーグの鹿島スタジアムだった。わが町清水エスパルスとは大違い。周辺施設サブグラウンドも立派でこれなら優秀な選手が集まるはずだと思ったが、清水との最近の成績の差はこういうところの差も出るんではなかろうか。。誰だってどうせなら立派なところでサッカーしたいよね。

この旅の最初のころに本州最北端を制覇したので、今度は本州最東端を制覇すべく千葉県の銚子の犬吠埼へGO!(本州最南端と最西端はかなり前に制覇)。
しばらくして利根川沿いを進むが坂東太郎と異名をとるだけあって川幅も広く水量もあって堂々たる川である。その後今夜の宿泊地勝浦へ九十九里浜沿いの道をひたすら走る。ここでもサーファーはよく見かける。
勝浦のホテルへ4時少し前に到着。ここでゆったりと旅の疲れを温泉で癒し、最後の自宅への走行の英気を養う。




これで一応東北太平洋岸車中泊の旅も終わり。長くて退屈な旅日記をご覧くださった方々、どうもありがとうございました。